第31回AICT演劇評論賞 発表
受賞作
大林のり子『演出家・マックス・ラインハルトの舞台創造 協働演出による祝祭劇の実践』(大阪大学出版会)

選考経過
国際演劇評論家協会(AICT)日本センターでは、演劇・ダンス等の優れた批評を顕揚し、その発展を図るために、1995年より毎年、その年に刊行された演劇・ダンス等の舞台に関する評論書を対象にしたAICT演劇評論賞を設けています。
第31回となる今回は、2025年1月から12月に刊行された書籍を対象とし、AICT会員によるアンケート投票により、一人三点まで候補作を推薦してもらい、得票数の多かった次の上位三作を最終候補作として選考会議にかけました。
最終候補作
大林のり子『演出家・マックス・ラインハルトの舞台創造 協働演出による祝祭劇の実践』(大阪大学出版会)
[監修]早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 『演劇は戦争体験を語り得るのか 戦後 80 年の日本の演劇から』(早稲田大学出版部)
成田龍一/本橋哲也 編『鈴木忠志が語る/鈴木忠志を語る 世界は日本だけではない 日本は東京だけではない 利賀村で世界に出会う』(読書人)
選考委員は、河合祥一郎、永田靖、濱田元子、林あまりの四名です。選考会議は3月29日にオンライン(Zoom)で行われ、四人の選考委員に加えて進行役として、事務局の三井武人が参加しました。議論が交わされたのち、大林のり子『演出家・マックス・ラインハルトの舞台創造 協働演出による祝祭劇の実践』の受賞が決定しました。詳細は各選考委員による選評をお読みください。
選評
河合祥一郎
『演出家・マックス・ラインハルトの舞台創造 協働演出による祝祭劇の実践』は驚くべき画期的な研究書だ。ラインハルトはとくに一九〇五年の回り舞台を用いた『夏の夜の夢』の成功や、大群衆を用いたアリーナステージや階段舞台を効果的に用いた演出が知られている(本書のカバーにも階段を駆け上がる群衆の舞台稽古写真が使われている)が、ラインハルトに関する欧文の研究書はあっても、邦文の研究書はこれが初めてであろう。しかも、彼がどういう段階を経て、どのような演出を手掛けていったのかを具体的かつ詳細に分析する研究書はこれまでになかった。
さらに言えば、すでに演劇学の教授になられた先生が大学院生のときから発表してきたラインハルトに関する論考をほぼすべて盛り込んだ博士論文を本にしたというだけあって、これ以上詳細な記述は無理という徹底ぶりである。研究書の鑑と言えよう。
自然主義や写実主義を求めていた同時代の小山内薫から批判されたために、ラインハルトは日本ではその真価が認められてこなかった嫌いがある。本書はその点も踏まえて、彼の表現主義的手法を分析していく。いつの間にかスタニスラフスキー・システムが当たり前になってしまった昨今、表現主義的手法を今一度具体的に考え直すべきという重要な指針を本書は与えてくれる。
その記述は懇切丁寧でわかりやすい。しかも、本書が掲げる「協働演出」と「祝祭劇」というキーワードも重要だ。演劇とは何かという単純な問いにしてしまう前に、演劇とはこれまでどういうものであったのか、どんな経緯を経て、どのように人々を惹きつけてきたのか、その点を具体的な例に即して丁寧に吟味していく、それこそが演劇研究であり、本書はその重要性を一般読者にもわかりやすく語ってくれる貴重な本である。
永田靖
『演出家・マックス・ラインハルトの舞台創造 協働演出による祝祭劇の実践』は、演出家マックス・ラインハルトの仕事を、20世紀初頭から1930年代に至る活動の全体にわたって精緻に跡づけ、その演劇史的意義と方法論的特質を明らかにした大著である。長年にわたる研究の蓄積にもとづき、演出ノート、批評、関係者の証言など多様な資料を丹念に読み解くことで、従来断片的にしか把握されてこなかった上演の具体像を再構成している点において、高く評価された。
本書の最も重要な貢献は、演出を単一の創作者による表現としてではなく、俳優、美術、音楽、振付、さらには興行や制度に関わる諸要素が交錯する「協働の思考の集積」として捉え直した点にある。一般に演劇史では20世紀初頭のいわゆる「演劇改革」の時代は、「演出家」の強い力がそれを発展開拓していったとされている。ラインハルトもその流れの中にあるとされてきたが、本書は、この演出家中心主義的な演劇史観を相対化し、舞台創造の力学をより開かれた関係性の中で把握するものであり、演劇研究の方法そのものに新たな地平を拓くものである。
また本書は、演劇を戯曲を中心とする文学的枠組みから解放している点も今日的である。ここでは無言劇、パントマイム、舞踊、バレエ、オペレッタといった非言語的・視覚的表現に光を当てることで、ラインハルトの実践を、祝祭性と群衆性を核とする総合芸術の試みとして再定位している点も重要である。とりわけ、大規模なスペクタクルやポピュラリティを、単なる通俗性ではなく国際的な興行戦略と結びついた創造的選択として読み替えた点は、従来の評価を刷新するものである。
さらに本書は、演劇学にとどまらず、ドイツ文学、音楽学、舞踊学など複数の領域を横断しつつ、ラインハルトの活動を国際的な文化交流の文脈の中に位置づけている。ヨーロッパからアメリカへと展開する上演活動や、国際的協働の実態の分析は、近年のインターカルチュラルなパフォーマンス研究とも接続しうる射程を備えている。
本書は、豊富な実証的研究に裏打ちされた体系的成果であると同時に、演出とは何か、演劇とはいかなる芸術かという根本問題に対して新たな視角を提示するものである。その学術的完成度と方法論的革新性において、現代の演劇研究と演劇批評に大きな示唆を与える本書は、AICT賞にふさわしい業績として高く評価される。
濱田元子
20世紀初頭に活躍をした演出家の舞台創造、さらには上演史を通して、舞台芸術、演出家という仕事の現在地をも照射する。射程が長く、そしていまの読者にとっても非常に示唆に富んだ、興味深い研究書である。長年の研究成果を注ぎ込んだかなりボリュームある大著でありながら、しかし、上演テクストや演出台本、劇評にいたるまで丹念に調べ上げられた豊富な資料を駆使して当時の状況を活写してみせる内容は、普通の読み物としての面白さも兼ね備えている。今でこそ、演劇が音楽や美術、舞踊などの身体表現などとの総合芸術という考えは一般的であるが、ラインハルトの協働演出の特性についての実証的、かつ網羅的、体系的な考察が、日本語で読めるという意味でも大きな意義があると言えるだろう。
「協働」の観点から、イプセンの『幽霊』、シェイクスピアの『夏の夜の夢』、『オイディプス王』、無言劇『ズムルン』など個別の作品上演を読み解きながら、翻案者としてのホーフマンスタール、作曲家のリヒャルト・シュトラウス、画家のムンクなどといった協働者の存在、クリエイションをあぶり出している点も興味を惹かれる。また、ラインハルトが追求した劇場文化と作品創造の関係への考察には、古くは100年前の築地小劇場、そして今の日本の劇場環境、創作環境を考えるにあたり、一つの視座となる論考であろう。
林あまり
ぐいぐい引き込まれた。これはまったく予想外だった。
なにしろ、厚くて重い本で、しかも博士論文というのだから、読み切れるかびくびくしていたのだ。そのうえ不勉強な私は、ラインハルトの名前くらいしか知らない。
でもそんな心配はすぐ吹っ飛んだ。ナニコレ面白い!
演出台本がかなり残っているようだし、舞台を観た劇評家の鋭い分析などから、実際の舞台があれこれ想像できる。
なかでも、ラインハルトが、砂浜でひとりリハーサルをしていた話などは、目に浮かぶ。
また、ラインハルトが、役者に求める演技イメージを説明するとき、自分なりの演技ではなく、その役者がやるような演技としてやってみせるというのに、惹き付けられた。
さまざな舞台形式を切り拓くラインハルトが、いったい次に何をやるのか、皆目見当がつかずに読んでいると、(え、次それ?)となるのも、わくわくする。
著者の大変な力作、本格的論考の一冊であることは言うまでもない。でも、それよりなにより、ぜったい面白いから、演劇ファンに心からおすすめしたい。
大林のり子さんには、ぜひラインハルトの生涯について、今度はプライベートにスポットを当てた評伝も書いていただけたら嬉しい。




